第一話:終活のクライマックス”遺言”は本当に必要?あなたの相続が開始してしまったら

遺言を考える前に

遺言作成の実情としては、少し複雑な親族状況にある方の相談は、依然としてあるものの、その様な主張をする必要がない方の遺言の普及は進んでいない状況にあるといえます。

今回の第一話は、一見なんの問題も無さそうなご家族においても、遺言を残す大きな意義を感じていただけるものとなっております。
このような遺言の作成方法を提唱しているのは、私くらいだと思いますので。ぜひあなたの遺言にも取り入れてみてください。

先程も申し上げましたが、私の氏名は「菊地輝尚」です。

そんな私の母が息を引き取る数週間前、私は母から次のことを言われました。

「あなたが今後幸せに生きていきたいのであれば、菊地は名乗らない方が良い」と。

さらに

「どうしても名乗りたいのであれば、菊地はあなたの代から始めていきなさい」と。

この言葉が何を意味するのか・・・このような考えを持つに至った背景には、一体何があるのか・・・。
わかることは、出来ませんでした。
様々な解釈ができる母の言葉ですが、出来る限り負の捉え方は避け、私は次の様に捉えることとしました。

「これから菊地からつながる親族たちと、助け合いながら生き抜いていきなさい」

このような背景から遺言について、一人でも多くの方にご興味を持っていただけたらと思います。

それでは、これから、「遺言は本当に必要?」に応えてまいりますね。

親族離れ

2025年問題という言葉。皆さんもご存じですよね。

いわゆる団塊の世代が、高齢者と定義される年代に入ってくることにより、そこから 懸念される、医療・介護や、社会保障などの問題の事ですね。

巷では「人生100年時代」といった言葉も耳にすることも多くなりました。正に日本は「超高齢化 社会」足を踏みいれた、といえるでしょう。

そうすると、今後も介護・福祉サービスの拡大や、サービスの多様化などもどんどん図られていくことが 想像できます。
ちょっと前には、「介護」が社会問題になったりも、しておりましたね。「終わりの見えない介護」 などという声もよく聞かれますし、「介護うつ」といった心の病に繋がる事象も、様々メディア等で 取り上げられております。
以上のように、我々は「介護をすることは大変なことなんだ」との認識をしていることについては、疑いようのない事実でしょう。

確かに、一度介護を始め、一定の歳月がたちますと、誰かが介護を代わってあげたくても なかなか難しいという現状もあることが想像できます。

そんな中、私、こんな報道を耳にしたんですね。

今の若い世代の方々の中には、将来的に、「自分が親の介護を任されるのではないか」という懸念から、
早いうちに、今のうちに

「親と距離を置いておく」

という方もいるというんですね。

早いうちからいわゆる”疎遠”な 状況をつくっておいて、自分が、介護をしてあげる対象から外れるようにしようと。
こんなことまで一部、起きているとのことなのです。
良いか悪いかは別として、このことを聞いた時には、
何とも言えない気持ちになりましたね。

そして先ほどお話した、福祉・介護サービスがどんどん利用しやすく、預けやすくなることによって、皮肉にも、そんな現象を 助長させてしまうことにもつながっていくのかもしれません。

まあ、時代背景の変化と共に、致し方ないのかなとは思ってしまうところです。

ここで私は、ある疑いを持ってみました。

それは、年々社会が移り行く度”親族離れ”の傾向が進んできているのではないかということ

これは他の事象からも導くことができるでしょう。

冠婚葬祭の小規模化に墓終い、散骨永代供養等等。
このようなことから、親族の交流の場は明らかに減少していることは明白です。

時代と共に進んでいく近隣住民関係の希薄化、それに加え、親族関係の希薄化も危惧される今後の社会に一抹不安を覚えずにはいられません。

そんな”親族離れ”が進んでいく今後の社会の中で、

想像してみてください。

早くから、親と距離を置いてきた長男夫婦

片や、今までの恩も感じ、善意で介護を引き受けた次男夫婦 ・・・

そんな状況のなか、もし、あなたの相続が開始してしまったら・・・

あなたの相続が開始してしまったら

あなたの相続が開始してしまったら、一体どうなってしまうのでしょうか。

相続人は、通常、複数人になることが多いですので、そのようなイメージでお聞きください

尚、遺言制度の概要は、既にご存じの方も多いと思いますので

この解説では
遺産の「受け手」

つまり相続人の

遺産の「受け止め方」に注目していただけたらと思います。

まずは、遺言の無い、一般の相続を見ていきます。

あなたの相続が開始してしまった時の話になります。

先ず、あなたの遺産が残されています。

そして、相続人は3人

あなたが残した遺産を、この三人で分けなくてはならない

立場も生活スタイルも違う三人、それぞれが「私の妥当な額で」

イメージとしては、相続人それぞれの
「私に妥当な額」を取りに行くものになります。

あなたの遺産は、ここで一旦、持ち主が居なくなったというイメージ

つまり、相続人の意識から「あなた」が薄れている状態

そして、3人で、どれだけの取り分が妥当なのかを相談し、つまり協議します。

これを、遺産分割協議と言いますが、

私の取り分として、これ位は妥当だろう

いやいや、私は○○したから、この程度は当然の取り分だろう

いや、それは当たり前には認められないな

等と、協議をすることになります。

どうでしょう・・・あなたはこの協議が上手くいくと思いますか?

さらに、遺産分割協議が、上手くいかない要素が、多々あるんだということを加えてご説明しますね。

ただでさえ、3人の分割協議は困難を極めることさえあるでしょう。

もちろん、何の問題もなく進行する場合もあります。

この協議が、困難になる要因の1つとして、このようなことが挙げられます。

相続人の中に、配偶者がいる場合です。

相続人の配偶者には、今回の相続に関しては何の権限もない場合がほとんどです。

ですが、その配偶者が、
直接、あれこれ主張してくることもありますが
、その配偶者が、関係も密接である、

相続人、

を介して主張してくることも多々あります。

そんな状況になったとしても、協議が上手くいけば何の問題もないのですが・・・

私が金融機関で働いていた時の話をさせてください。

私が金融機関で働いていた時、ある一人の女性が、窓口へ相談にきました。

よくよく話を聞くと、

相続人の配偶者の方、

でした。

あなた

の体調が思わしくなく、命の危険が迫っているということで、もしものとき相続はどうなるのか、あなたの預金額や、残高はいくらあるのかなどを知りたいというのですね。

ですが、当時、この方に、そのような権限はありませんので、私は、部下社員とともに頭を下げ、丁重にお断りをしました。

そして数日後、その女性は、再度、窓口にやってきました。

今度は、歩くのもやっと、といった様子の「あなた」を連れてきたのです。

その方の言い分としては、預金者本人を連れてきたので、今度は教えてもらえますよね」というのですね。

コチラとしては、幾らあなたを連れてきても、あなた自身に、残高などを知りたいという意思が確認できなければ、どうすることもできないのですが・・・

とにかく、私は、本当にあなたが、預金者本人なのかを確認するため、健康保険証などの公的な書類を見せていただきたいとお願いしました。

するとあなたは、バッグの中を確認しますが・・・どうやら家に忘れてきてしまったようなのですね。

するとその女性は「もー!なんで忘れるの!」と、あなたに、強めに言ってお帰りになりました。

預金額など、あなた本人が通帳を見ればすぐにわかりそうなものですけど・・・

この一連の行動は、明らかに、あなた本人の意思ではなく、その女性の意思によるものと思われます。

確かに、あなたの面倒を見ていたりする方であれば、そのようなこともあるでしょうけれど、まるでそんな様子は感じられない、遠方の方でした。

これは、あなたがご健在であるときの話ですが、このようなことも良くある事なのです。

カネ目、の話です。

言い方は悪いですが、あえて外部と表現しますが、外部の人間が、まぁ~~首を突っ込んでくるのですね。

私は何回も、そんな場面を見てきました。

あなたはまだ、相続がスムーズにいくと思いますか?

協議に、どうしても納得がいかないや、参加しない相続人がいる場合、この関係の中で、紛争が起きていることに」なるでしょう。

そうすると、やはり専門家である、「弁護士」を介しての協議になってまいります。

当事者である相手方も、たった一人で主張を継続するわけにもいかなくなります。

やはり、専門家「弁護士」に依頼することになるでしょう。

こうなると、いくところまでいく、といいますか、幾ら結束の強い兄弟間であっても、関係がガラガラと音を立てて、崩れていくことが容易に想像できます。

やはり、相続はうまくいきませんでした。

仮に、法定相続人である3人の外観で、協議が上手くいった思っていても、配偶者に関するいざこざが生じていることもあるのですね。

あの時のAの態度はなんだ!

ずいぶんと主張をしてくる割に何もしてないじゃないか

などなど

このように、協議自体は、強制的にでも落とし込むことはできますが、
そこにたどり着くまでの過程で、
兄弟間の絆は、ボロボロになってしまっていることになります。

そして、相続人が手にした、あなたの遺産は、受け手として、どのような受け止め方になったでしょう。

相続人それぞれが

私は、この位の取り分が妥当なはずだ

いやいや、私にはこのくらいの取り分が当然にあるはずだ

私はこの位もらって当たり前だろう

それぞれが、妥当で、当然で、当たり前な取り分という主張を貫きとおした
結果、法的に争うことにもつながった。

言わば、

当たり前

な取り分として受け止めた、と言えるのではないでしょうか。

想像してみてください。

あなたの相続人は、お金にも困っておらず、しっかり者ですから大丈夫です。

ですが、近年本当に大変なことが起きましたよね。

新型ウィルスに、国際紛争、物価上昇に円安継続など・・・

企業は常に変化が求められ、公務員から「安定」の文字は、消えつつあります。

社会が変わり、制度が変わり、法律が変わる・・・

そうです。

あなたの相続のとき、相続人が”生活の窮地に立たされている”という可能性は、いくらでもあるのですね。

このような未来を、あなたは黙って見ていますか?

ですよね!安心してください。

あなたはまだ、目が黒く、読み書きもでき、歩くこともできますよね。

でしたら、未来を変えていきましょう!

あなたが意思表示することで、それが可能となります!

あなたの意思表示、それは

あなたの遺言で行ないます。

あなたの意思表示をしよう

ここからは、あなたの意思表示である、遺言があった際の、相続を見ていきます。

受け手である、相続人の「受け止め方」に注目して解説していきます。

あなたの遺産が残されます。

相続人は同じく3名。

ここで、あなたの遺言が残されている。

あなたの遺言には、相続する方の名前が指定されている

金額が指定されている

イメージとしては、スムーズに下りてくるイメージ

言い換えると

この遺産に、
名前が書いてある。
という状態を、あなたが作ってあげたということが出来ます。

後は、今は亡き、あなたに相続人が

うん、わかったよ。

と納得してもらえれば、そのままスムーズに相続されます。

ですので、そういってもらえる内容の、遺言を書かなくてはならないのです。

遺産分割協議は、多くの場合必要ありません。

遺言が無いケースで懸念されていた、権限のない配偶者も、ここでは顔を出しません。

と言いますか、出せません。出る幕がありません。

何故なら、遺産の持ち主であった、あなたの意思表示なのですから!出てこられるわけがありません。

遺言が無い場合では、遺産が、一旦持ち主が居なくなってしまっていたので、配偶者が出てくるスキを作ってしまっていたのですね。

外部の人間に、あなたの遺産の事をとやかく言われる筋合いはありませんね!

生前に、資産を詮索されるようなことがあったとしても、遺言があれば、それは無駄な詮索だったことになります。

ですので、兄弟間や配偶者間の、無用な意見のぶつかり合いも、おきません。

それにより、相続人たち親族は、あなたへの様々な感情に浸ることが出来ます。

今まで本当に楽しかった。悲しかった、怒った。喜んだ、そして

今まで本当にありがとう。

そして、あなたが遺言によってした意思表示は、相続人にとってどのように受け止められるのか。

遺言によって、あなたが、人物を指定し、金額を指定した。

相続人にとって、この遺産は、

あなたが与えてくれた

という受け取り方になります。

そして、どんなものだと感じるか。

あなたが与えてくれた

当たり前の・・・ではありませんね。

あなたが与えてくれた

有難いもの。

という受け止め方になるでしょう。

当たり前、と、有難いは対義語ですから、全く180度違ったものになってしまいました。

もう、こうなってくると、当たり前、と、有難いでは、遺産の使途、扱い方まで、それ相応になるということですね。

当たり前とした、遺産は、当然にその方のものです。

自身の資産と合算しても良いでしょう。

自分のものですので、使い道も自分たちのために使うのではないでしょうか。

善いか悪いかは別としても、例えば、車の入れ替えの頭金に一部充ててみたり、海外旅行に行って思い出を作ったり。

そんな使い道になるのかもしれませんね。

自分がもらって当然なものなのですから。

方や

あなたから与えられた、有難いものとして受け止めた場合はどうでしょうか。

あなたから与えられた、有難いものであれば、恐らく、自身の資産とは、区別しておいておくことも考えられますね。

有難いものですから、いつの間にか減っていた、なんてことは避けたいですからね。

使い道も、あなたから与えられた・・・
のであれば、変化の急速な社会経済、恐らく、万一の時や、もしもの時に、

大切に使う。
大切にとっておく。

ということが想像できます。

もし、遺産を区別して取っておいたとしましょう。

何年か経って、この大金なんだっけ?

となってしまっても

あ、あなたから与えられたものだったね

ずっと「あなた」が続いていくことも、あるかもしれませんね。

さあ。

このように、あなたの意思表示一つで、未来が全く違う結果となる場合もあるでしょう。

どうしますか。

あなたは、遺産について、やはり、外部の人間にとやかく言われたいですか?

それとも

あなたの意思表示をして、出る幕すらない、状態にしておきますか。

目が黒く あなたには出来ることがあります。

社会の流れから言って、親族の関係は希薄になってしまう事は避けられない。

だからと言って、容易に壊してしまって良いということにはなりません

今後の世の中に出来ることは、希薄化の流れの中においても、いつでもつながる事が出来る親族間の関係を、出来る限り残してあげることです。

少子高齢化が顕著になり、一人当たりの様々な負担が想定される後世。

様々な社会的課題を引き継がなければなりませんが、そんな後世に、私たちがしてあげられることがあれば、出来る限りのことをしてあげたいものですね。

丸山敏雄氏の倫理研究において、次のような教えがあります。

「自分自身は、先祖代々営々脈々と伝えられた、命のトップランナーである」

次回の第二話は

さて、次回は遺言書の付言事項についてお話していきます。

そして、気になる方も多いであろう「遺言書作成のタイミング」
が明確になります。

それは、あなたが要介護となってしまったときなのか、お孫さんが出来てからなのか、又は還暦を迎えた時なのか・・・

そんな内容でお送りしますので、楽しみにお待ちください。

尚、お届けする内容をより有意義なものにしてまいりたいとおもっておりますので、今回の記事を見て、自分の中で気づいた点や気になる点、取り入れようと思ったことがあれば、ぜひ下のコメント欄でおしらせくださいね。

あなたの遺言で、遺族が守られたら、迷惑する人はいますか?

それでは失礼いたします。

行政書士 菊地輝尚(キクチ テルヒサ) Lumiere Planning 行政書士事務所 代表

・行政書士会北海道会会員 ・”家庭と事業の笑顔をつなぐ制度付添人”補助金採択事業者 ・NPO法人日本FP協会 AFP会員 ・NPO法人日本FP協会道央支部運営委員 ・倫理法人会会員

私の父は、幼いうちに「菊地家」の養子に迎えられました。 それは実質の「長男」としてだったのです。

父には女性の兄弟ができましたが風当たりが強かったのでしょうか

良い関係を築けずにいたそうです。

そんななかで起こった「相続」 当然に協議はうまくいかず、兄弟とは疎遠に。

その後も、お金を貸してほしい旨の相談があったり心無いことも言われたようで、兄弟とは縁を切ることに。

私はそのころ小学生でした。2歳下に妹がおります。 学校の「冬休みに出かけたところ」の発表などで皆は 「親戚の家がある○○へ行った」 「親戚が集まってお年玉がたくさん集まった」

などを聞いて、寂しく思った記憶が有ります。

寂しく思っていたのは妹も一緒だったようで 「私たち兄弟同士は、大人になっても家庭を持っても、行き来を続けてずっと仲良くいようね」 と言われ、そうだねと、約束したものです。

従弟もいましたが縁を切ってからは、どこで何をしているのかもわかりません。

私の年齢は40代ですので、今更なにか行動を起こすといってもあまりにも長い年月が過ぎてしまいました。

このようなことは、よく聞かれる事ですが、本当によくある事で良いのでしょうか。

現在は、遺言書作成を世に普及させ、このような事例を一件でも多く減らしていくことが 私の使命です。